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「明石家さんま」日航機事故で一便早く移動回避した逸話は事実ではない?

明石家さんまは、ビートたけし・タモリと並ぶお笑いBIG3の一角としてしられるお笑いタレント。

『ひょうきん族』でタケちゃんマンの敵・ブラックデビルを高田純次からの代役として引き継いで以降、一気に注目されるようになり、現在では多くの番組でMCを務める姿がイメージとして強い。

だが、つい忘れがちになるが、彼は元々落語家出身であること。

高校卒業後、二代目笑福亭松之助に弟子入りをしたさんま。松之助の新作落語を見て感銘を受けての弟子入り志願だったが、「どうしてワシのとこに来たんや?」という松之助の問いに対し、「あんたにはセンスがある」とさんまが答え、それに松之助が「おおきに」と答えたという逸話がある。

当初は、笑福亭さんまという名で落語家として活動していたが、この「さんま」という一見変わった名前については、父親が冷凍海産物の加工工場に勤めていたことから「さんま」が選ばれたという。

さて、彼の落語家としての評価であるが、いわゆる「落語ができない落語家」という状態だった。本題に入る前の小噺である”まくら”では爆笑だったというが、いざ本題に入った途端に客席がシーンと静まり返ってしまうという有様だった。

その後、一度弟子を抜け出して東京進出を図るも失敗、松之助のもとに戻ってきた際には、正式に再度弟子として迎えることはなかったものの、活動がしやすいように根回しをしたり、「笑福亭のままでは活動しにくいだろう」という計らいで、自身の本名である「明石」から取って「明石家」に変えるよう勧めたという。

落語はボロボロだったものの、才能そのものは強く見いだされていたことが伺える。

さて、彼のエピソードの中で有名なものの一つに、あの『日航機墜落事故』にまつわる話がある。

現在でも史上最悪の航空事故として知られる日本航空123便の墜落事故。この事故には、あの時搭乗予定であったものの何らかの事情によって難を逃れたという有名人のエピソードがいくつも存在する。

さんまにもそのような話がたびたび語られる。

よく語られる内容は、東京での「ひょうきん族」の収録後に大阪の「MBSヤングタウン」の生放送へ移動する予定の中、「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わり、予定していた便をキャンセルして123便より一本早い便で移動したというもの。

だが、各所で語られているこの話は、事実と異なっていると言われている。

事故が起こる前月、なんばヶ月で公開放送されていた「さんまの駐在さん」の収録日が火曜日から月曜日へ変更、それに伴い移動日が日曜日に移ることとなったため、月曜日に移動する必要が無くなった。

つまり、先月まで利用していた123便に乗る必要が無くなったことで難を逃れた、というのが真相のようだ。

ただ、いずれにせよさんま自身もショックは大きかったようで、それ以来新幹線移動ができる範囲では決して飛行機を利用しないほど飛行機を怖がるようになったという。

因みに、とある大事件に関連するエピソードに、ホテルニュージャパン火災がある。

その頃、吉本興業は東京の定宿としてホテルニュージャパンを利用していた。だが、ある時さんまが、「廊下が霞がかっている」「部屋の空気の回りが気持ち悪い」「寝つきが悪い」という理由から、自費で払ってもいいから赤坂東急に宿を変えてくれと訴えた。

これを聞いた、吉本所属タレント、さらには吉本以外のタレントたちも追従する形でホテルニュージャパンの利用をやめるようになり、その数ヶ月後に多くの死傷者を出す大火災が発生した。

彼の変更の訴えが無ければ、彼だけでなく多くのタレントが巻き込まれていたことだろう。

【参考記事・文献】
https://x.gd/NeTAm
https://kapi80123.livedoor.blog/archives/2154430.html
https://dic.pixiv.net/a/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%AE%B6%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE
https://ameblo.jp/creopatoran/entry-12573661383.html

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【文 ZENMAI】

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