萩本欽一といえば、コメディアンやテレビ司会者として活躍する人物であり、1960年代には、坂上二郎と結成したコンビ「コント55号」で絶大な人気を獲得し、以後も彼の名を冠する番組が軒並み高視聴率を記録することから、「視聴率100%男」との異名でも知られている。
多くの逸話や伝説が語られる人物でもあり、24時間テレビのオファーに当初提示されたギャラを大幅に釣り上げるよう要求、金額が決定した直後に全て寄付に回してくれと言ったという話や、『8時だョ!全員集合』放送当時、メンバーが賭博で逮捕されたことでザ・ドリフターズがテレビに出られなくなるのではと思い悩んでいたいかりや長介に、「辞めるんだったら最終回に僕を出して、そして一緒に芸能界を引退するよ」と言ったという話など、枚挙にいとまがない。
こんにちのテレビに与えた影響も多大であり、ピンマイクの使用、女性アシスタントの導入、観客をあつめてスタジオを観客席の同時撮影、素人いじり、視聴者からのお便りを読み上げる、といった現在では当たり前のように行なわれているこれらの演出は、萩本が初めて取り入れたものと言われている。
そんな萩本欽一は、なんと20世紀の喜劇王とも称されるチャップリンと会い、話をしたことがある。
1971年のこと。とある番組にて、萩本がチャップリンの隠棲するスイスの自宅に行き、会いに行くという企画があった。元々この企画は、萩本が尊敬するコメディアンにチャップリンをあげたことで立ち上がった企画だったということだが、この時の萩本は実のところチャップリンを「世界で一番有名な人」という程度の認識しか持っておらず、チャップリンの映画もまともに見たことがなかったという。しかも、なんとアポ無しでのロケだった。
4日間のスケジュールを与えられた萩本は、初日に彼の自宅を訪ねるものの使用人から冷たくあしらわれ対面を断れてしまう。1月ということもあって極寒であったこの時期、一度は車で帰宅するチャップリンと窓越しの対面はするものの、邸内に入ることはかなわない(当たり前だが・・・)。
そうしているうちに最終日の4日目となった。
それでも、相変わらず使用人により断られてしまった萩本は、募った失望と怒りがとうとう爆発、玄関前で「嘘つき!」と叫んだ。この言葉には、ヒューマニズムに溢れたチャップリンの映画は嘘だ、という意味が込められていた。ところが、なんとこの怒鳴り声が本人の耳に届いた。
チャップリンは、マネージャーが高野虎市であるのをはじめとして、日本の国や文化を非常に気に入っていたことで知られている。萩本の声で日本人だということに気付いたためか、本人が「何事か」と現れ、ついに邸内に入ることができた。
当のチャップリンは、「寒いところで、ごめんね」と肩に手をまわして部屋まで案内し、その後萩本は彼と1時間弱ほどの会話ができた。使用人が訪問者を冷たく断っていたのは、それまでもたかりが多かったからである。
さらにチャップリンから「写真は撮らなくていいのか?」と言われた萩本は4枚ほど写真撮影をさせてもらったが、「景色を変えた方がいいね」と場所まで変えて撮らせてくれたという。そうしたこともあって彼は一気にチャップリンを尊敬することとなり、現在もその時のツーショット写真を大事に保管しているという。
ただし、あの時怒鳴り声で放った日本語の意味が、チャップリンに気付かれず本当に良かったと回想している。
【あの日のラテ欄】平成元年4月29日(土)
この年はチャップリン生誕100年。『NHKスペシャル』はイギリスの特番をベースに、チャップリンと親交があった淀川長治らのインタビューで構成。萩本欽一は昭和41年、番組でスイスに住むチャップリンへアポなし面会を敢行、4日目に実現していた。@retoro_mode pic.twitter.com/eWSdhyNy7R— 萬象アカネ (@bansho_akane) April 28, 2024
【参考記事・文献】
・https://sirabee.com/2015/03/22/22665/#
・https://www.news-postseven.com/archives/20180224_653267.html?DETAIL
・https://news.line.me/detail/oa-flash/90c6ee92ea69
・http://kura369.blog.fc2.com/blog-entry-248.html
・http://yamaya49.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-8efb.html
【アトラスニュース関連記事】
喜劇王チャップリンに仕えた日本人「高野虎市」の功績
【文 ナオキ・コムロ】