『刑事くん』は、1971年から76年までブラザー劇場で放送されていた刑事ドラマ。殉職した父の無念を晴らすべく、父と同じく刑事となった主人公・三神鉄男の成長を描いた熱血根性物であり、第1部から3部までは桜木健一、第4部は星正人が主演をつとめた。
刑事ドラマとしては、きわめて明るく熱血な内容となっていることが特徴の一つである。当時、『刑事コロンボ』の人気に目を付けたプロデューサーが刑事モノの構想をし、『柔道一直線』(1969)の主人公・一条直也役を演じたことで一躍人気俳優となった桜木が主演に抜擢されることになった。

しかし、桜木が刑事役を務めるには年が若すぎるという理由から新米刑事という設定に、さらに刑事の後に「~くん」を付ければいいのではないかということになった末、それまでの刑事ドラマとはかなり異なった明るいモノとなった。なお、30分番組だったということも異色な要素となっていた。
本作における最大の売りは、豪華な共演者やゲストの存在であった。
ライバル役としては、仲雅美、三浦友和、宮内洋、そしてゲスト出演では、萩原健一、沢田研二、小林幸子、小柳ルミ子、南沙織、天地真理といった、当時の大スターと呼ばれる顔ぶれとなっており、これも人気を高めた一因となった。

また、萩原は本作のゲスト出演をきっかけとして新人刑事モノの企画を各所に持ち込み、それがのちの『太陽にほえろ!』につながったと言われている。言うなれば、刑事ドラマにおける新人刑事の雛型は、本作によってもたらされたと言っても過言ではない。
因みに、新人歌手の出演は脚本家の市川森一のアイデアであったようであり、上記にあげた以外にも、森昌子や山口百恵といった面々も出演していたという。
柔道着からネクタイ姿という大きな変貌を遂げることとなり、見事イメージチェンジに成功した桜木であるが、徐々に「いつまでも新米刑事のままで良いのだろうか」という思いが募っていった。このことをマネージャーに相談したところ、「そう思うなら辞めなさい」とあっさり答えられ、それにより第3部をもって主演を降りることとなった。
このこともあり、桜木は当分刑事モノはいいだろうと思っていたのだが、その後に来たオファーは刑事ドラマ『特捜最前線』だったという。しかも、当時30代という年齢で「刑事くん」初出演時の年齢に近い24歳の役を演じるということになった。実に奇妙な縁と言えるだろう。

【参考記事・文献】
・https://www.toei-video.co.jp/special/keiji-kun/
・https://www.asagei.com/excerpt/100386
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【文 ZENMAI】