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これがあれば河童に襲われない!?福井の寺に伝わる「河童の銅印」

福井県敦賀市にある真禅寺は、開創より千年以上経つという天台宗の古刹である。

この真禅寺には、古くから『河童の銅印』なるものが伝わっている。




今をさかのぼる事二百五十年ほど昔、太治朗兵衛という川人足の頭が、児屋源太郎という名の河童を助けた際に礼として譲り受けたものとされている。

この銅印は河童たちのあいだに伝わるものであり、銅印か印判(銅印で押した判)を持っていれば河童の害に遭う事はなく、また水難も退ける事が出来るという。事実、近年まで水難除けのお守りとして、この印判を求める人はかなりいたそうである。

銅印は約四センチ角ほどであり、持ち手部分には体を丸めたような姿勢をとる小さな龍の細工がなされているが、詳しいことは判明しておらず、また由来も寺に伝わる伝承以外、何も残ってはいない。

河童の印鑑3

唯一この銅印の謎を解き明かすヒントになると思われるものは、銅印に刻まれている文字だけである。この銅印の文字は、直線が多く四角が目立つ形状に図案化されているため、中国大陸で元代に作られたパスパ文字ではないかとする意見が出てきている。

パスパ文字は南宋を滅ぼし、元を建国したフビライ・ハーンの命によって作製された文字で、モンゴル人の使っていたウイグル文字の音韻を表記しやすいように新たに考え出されたものである。だが実際にはウイグル文字が使われることが多く、パスパ文字は100年程度で使われなくなってしまう。

河童の印鑑4

しかし、四角をベースにした形状は印章に向いていた為、中国やチベットでその後も長い間装飾文字の一種として使用され続けていたという。

敦賀は昔から港町となっており、日宋貿易では日本側の主要港の一つであった。その後明の時代でも貿易港として機能していたため、この銅印も日本・中国間で絹の交易の際に使用された物ではないかとされている。時代が下って江戸時代になり、発見されたものの用途や正体が解らず「妖怪から貰った物」として寺に奉納されたのではないだろうか。

しかし、結局銅印の文字は解読に至っていないため、この銅印の正体に関しては今も不明のままとなっている。

現在でもこの銅印は寺にて奉納されているが、一般公開されていないため事前連絡が必要となっているので気を付けて欲しい。

(黒松三太夫  ミステリーニュースステーションATLAS編集部 寄稿・ミステリーニュースステーションATLAS)