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【暗闇の日本史】一夜で消えた幻の城、岐阜白川「帰雲城」と埋蔵金伝説

 天正年間に地震による土砂崩壊で一夜にして消えた幻の城があるという。




 それが岐阜白川にあったとされる「帰雲城」である。伝承によると岐阜県白川郷近くを流れ、富山湾へと続く庄川のほとりにあったとされているが、具体的な場所はわからない。筆者は子供の頃にこの伝説を知り、「まるで日本のアトランティス大陸ではないか」と胸が躍ったのである。かねてからこの場所を訪問したいと思っていたが、昨年念願かなって取材に行くことが出来た。

 今の岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)にあった内ヶ島氏の居城なのだが、同所は江戸期には保木と呼ばれた。この「ほき」という言葉は崖や歩危を意味しており、「帰雲城」が消失したあとの地形の状況を現している。

 この城が幻の城と呼ばれるには理由がある。場所が定かでないうえ、「帰雲城」の記述が同時代の一級史料の中に見ることが出来ないのだ。

 そもそも、寛正年間に帰雲城を築城したのは内ヶ嶋為氏であった。この内ヶ島氏は足利将軍家に仕えており、8代将軍・足利義政の命によって白川に赴任したと言われている。内ケ島氏は、白川郷を支配したが一向宗ともめるぐらいで目立った敵対勢力もいなかったが、天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命により金森長近が飛騨の侵攻してきた。内ケ島氏は三木自綱や佐々成政と組んでこの外敵に抵抗するが、あっさり敗退、内ケ島氏は金森氏に詫びを入れて臣下に加わることとなった。




 ようやく戦も終わり祝宴をしていた天正13年11月29日(1586年1月18日)に天正地震が発生、帰雲山にて山崩れが発生、城主の内ヶ島氏理ら一族数百名が土砂に埋まり、命を落としてしまった。同時に3000軒近い城下町の家々も土砂に流されてしまったというから、大変な被害である。『宇野主水日記』によると、他国へ行っていた者四名が急いで帰国したが、すべてが淵になっていたとされている。

 なお内ヶ島氏の経済的基盤は金山や銀山にあったとされており、その蓄財された金銀財宝も一緒に埋没してしまったとらしく、同地では埋蔵金伝説も伝えられている。昭和以降も何度か埋蔵金の発掘が行われているようだ。

 保木脇には現在「帰雲城趾」という碑が建っているが、ある企業の社長の夢に内ケ島氏と思える武士の幽霊が現れ、供養を依頼したため建立されたという。さまよえる武士たちの御霊は成仏したのであろうか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

帰雲城