平安時代の歌人であり、『土佐日記』の作者、『古今和歌集』の編者としても知られる歌人が紀貫之である。彼は『竹取物語』の著者とも言われており、平安期の代表的な文化人である。




紀氏は和の五王時代に紀州(現在の和歌山県)で勢力を振るった豪族であり、かつては朝廷で重職にあったが、貫之の時代には藤原氏の勢いに押され、和歌や文章で自己主張する程度であった。この紀貫之が選んだのが『六歌仙』(貫之は、六人の歌い手として選んだだけであり、”六歌仙”という名称は後年付けられた)である。

この『六歌仙』は、文屋康秀、遍昭、小野小町、喜撰法師、大伴黒主、在原業平である。『歌仙』と言えば、それまでは柿本人麻呂、山部赤人の二人を指していた。

一応、貫之は、高名な人以外から歌のうまい人を6人選んだとされており、知る人ぞ知る歌の詠み手という解釈であろうか。だが小野小町、在原業平以外は、実力的に疑問符がつくという指摘もあり、作家の井沢元彦氏は後継者争いで敗北れた惟喬親王の側近6名の怨霊を歌仙にすることで怨霊を鎮めたと述べている。




この『六歌仙=怨霊』という解釈は古くからあり、俗にに『六歌仙もの』という江戸期の読み物は、必ず六歌仙の怨霊が国を乱すという設定であった。悪党6名で出てくる『天保六花撰』もこの流れに属する。

なおこの六歌仙を選んだ紀貫之の墓は比叡山から滋賀側に降りるケーブルの途中から山中(裳立山)に入った場所にある。貫之の髪と爪が埋められていると言われているが、有名な歌人の墓にしては非常に寂しい所に存在しているといえる。しかし、京都の鬼門封じである比叡山の山系に埋められているといえるため、貫之の墓が京都の結界に組み込まれている形にもなっているのだ。

藤原氏の依頼?による六歌仙を選び怨霊を鎮めたはずの紀貫之本人が、死後京都の鬼門に埋められるとは皮肉である。帝都東京を護るのが武人・将門であるように、古都京都は歌人・紀貫之が守護しているのだ。

紀貫之





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