前世滝沢馬琴の「弓矢を呪う村」

戦国時代、現在の千葉県市川市真間から松戸市東松戸にかけて、北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦のことを国府台合戦と言い、松戸市矢切周辺が主戦場となり、合戦での戦死者は一万人を数えたと記されてる。

1538年に起こった合戦は「先の国府台合戦」といい、1564年に矢切台を中心に起こった合戦を「後の国府台合戦」という。またその合戦で、矢切台には敵味方千人以上の屍がさらされたと記されている。

この辺りの村では、度重なる合戦の苦しみから弓矢を呪い、『谷切り(やきり)』と呼ばれていた地形を皮肉るように『矢喰い、矢切り、矢知らず』などの言葉が派生し、庚申仏や地蔵尊に「矢喰村」などと刻まれ、やすらぎと健康が祈られるようになった。

なお下矢切には、矢喰村庚申塚と呼ばれる石塔がある。





かつて数千体もの屍がさらされた矢切台には現在、野菊の墓文学記念碑が建てられてる。野菊の墓とは、伊藤左千夫氏によって書かれた小説で、矢切付近を舞台とした15歳の少年と2歳年上の従姉との淡い恋の物語だ。

矢切台から江戸川の方に田畑の風情を眺めながら向うと「矢切の渡し」がある。矢切の渡しは、下矢切と東京都柴又を往復する渡しで、江戸の出入りに強い規制が敷かれていた時代、江戸川の両岸に田畑をもつ農民は、その耕作のために関所の渡しを通らずとも農民特権として自由に渡船で行き交うことが出来たようだ。

これが矢切の渡しの始まりである。

ところで『八幡の藪知らず』と言われる有名ミステリースポットをご存知だろうか?

八幡の藪知らずとは、市川市八幡にある森の通称で、古くは「不知八幡森」と記され、現在進行形で入ってはならない禁足地となっている。入ると二度と出てこれなくなる神隠しなど幾つもの伝承があり、詳細が良く分かられていないミステリースポットだ。

「矢知らず」と「藪知らず」は発音が似ていると思わないだろうか?では「八幡」にはどんな意味があるのだろうか?






「八幡神とは、弓矢八幡として武運の神様として崇敬されている神様」のことである。

八幡の「藪知らず」が現状のようになったのは、江戸時代中期頃と記されてる。国府台合戦が終り「矢知らず」などの言葉が派生したのも江戸時代中期頃である。江戸時代中期頃に、合戦が起こらないようにとの願いで弓矢八幡が祀られ、弓矢を呪い(矢知らず)、やすらぎと健康を祈る場所とされた。

つまり「八幡の矢知らず」として祀られていた場所が時代を経て何かしらの理由により「八幡の藪知らず」と呼ばれるようになったと考えるのが自然ではないだろうか。

因みにこの地域では、木をむやみに伐採すると祟られるという謂れがあるためか、大木が民家の塀を突き破ったままであったりと、祟りを恐れて木の伐採をためらったような、不思議な町並みが残っている。

また、八幡の藪知らずの側に葛飾八幡宮があり、境内にはこの土地の様々な伝承を象徴するかのように推定樹齢千二百年の千本公孫樹と呼ばれる見事な国指定天然記念物が人々を見守っている。

何処と無く禍々しさを感じるのは筆者だけであろうか?

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 トップ©写真素材足成 テキスト中©前世滝沢馬琴

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