UFO

米軍を揺るがせたUFO調査機関「プロジェクト・サイン」と「プロジェクト・グラッジ」

【アメリカ初のUFO調査機関「プロジェクト・サイン」と「マンテル大尉機墜落事件」】から続く




プロジェクト・サインの存在を揺るがす事になったUFO事件。それが「イースタン航空機遭遇事件」である。

1948年1月8日、民間のジャンボジェット機が葉巻型の未確認飛行物体と遭遇し、あわや衝突するのではないかという距離にまで、飛行物体が接近して来た事件である。

目撃情報などを元に調査した結果、プロジェクト・サイン内の議論は別れることになった。

ハイネック博士を中心とするメンバーは「流星などとの見間違い」だと主張し、ある調査官を中心とするメンバーは「地球外の未確認物体」だと主張する事態となり、意見の相違が生まれたのだ。

軍の上層部に報告する為、見解はどちらかにまとめられる必要があった。数日間の議論の末まとめられた『状況報告』と題された調査報告書では「宇宙からやってきた未知の物体である」と結論づけられた。

だが、この報告書を上層部は受け入れなかった。受け入れられるどころか、問題があるとして、印刷された『状況報告』のほとんどが焼却処分されてしまったのだ。




さらに上層部はプロジェクト・サイン自体にも問題があるとして、翌1949年にプロジェクト・サインを解体し、プロジェクト・グラッジという機関に組織変更する決断をくだす。プロジェクト・サインでは全てが極秘扱いとされてきたが、プロジェクト・サインは真逆の性格を持つ組織となり、機関の存在も後に公にされた。

また、メンバーはUFOを地球外から来たものだとは考えない人間だけで構成されることになった。この上層部の判断は、失敗と言っていい結果を招くことになった。

当時は、UFOに対する興味と、それは地球外から来たものだとする憶測が民間の間でもかなり広まっており、グラッジが発表する否定的な見解に、不信感を持たれるようになってしまったのだ。

その不信感は、軍がUFOの情報を隠蔽しようとしている、という憶測になって広まっていくことになった。組織変更したことで、むしろ軍に対する不信感を生む結果になったのであった。

こうして存在意義が無くなったプロジェクト・グラッジは縮小されていき、のちにプロジェクト・ブルーブックとして生まれ変わることになるのだった。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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画像©PIXABAY