僕らが少年だった頃、日本はもっと元気だった。モーレツ社員だった父さんはバリバリ働き、母さんは時たま恐怖の教育ママゴンに変身したものだ。
 人々はその時代を、希望を込めて「高度経済成長時代」と呼んだ。昭和30年代から40年代にかけて、終戦の痛手から立ち直った日本の復興は恐るべきスピードで進行した。そして、経済発展は文化と連動し、時代は少年漫画全盛期へと突入する。

 当時の子供たちは、ゲームもなければ、インターネットもなかった。ただひたすらに、肉体と知恵を駆使して遊ぶしかなかった。空き地で巨人軍の長嶋を気取って野球をやり、山では「ヒーローごっこ」をやったものである。僕らは本気で空を飛べると思ったのだ。
 そして子供心をくすぐったのは野山に作った「秘密基地」である。当時の子供達は、自然の木や石、土管、板などを組みあわせ、子供だけの空間を創造した。みんなで遊んでいる途中で、雨が突然降ってきた日など、ガキ大将の号令のもと秘密基地に避難し、駄菓子を頬張りながら、マンガをみんなで読んだものである。そして、そんな本の中には必ず「水木しげるの漫画」があった。




 奇妙な絵柄に、奇怪なキャラクターの数々、そして少年の心は無限の可能性を持った「妖怪たち」にときめいた。なんて素晴らしき、なんて強烈なセンスなんだろう。時には不気味で、時にはシニカルな水木ワールドを僕らは堪能した。水木しげるの漫画には「哲学」があり、「社会風刺」があり、「人生観」があった。ある意味、水木しげるの漫画は、少年から大人へと成長する通過儀礼のようであったのかもしれない。

 「おい、この漫画はおもしろいぞ」。水木漫画は「妖怪を体感した子供」から「妖怪未開発の子供」へと伝播された漫画のひとつであった。まるで伝説が親から子へ伝わるように、都市伝説が町を駆けめぐるように水木漫画は広がっていった。いやひょっとすると、水木漫画そのものが昭和の伝承説話であったのかもしれない。

 当時、僕は水木しげるの熱狂的なファンで仲間の中でも「妖怪博士」と呼ばれていた。水木しげるの漫画と妖怪図鑑を持ち歩き、数多くの妖怪の名前と性質を頭に詰め込み、山や河で妖怪の気配を感じて遊び回ったものである。
 そして、よく学校帰りなどに、皆と妖怪探検をしたものである。「あそこの空き地には人面犬がいる」「あそこの学校には赤マントがいる」僕らはアンテナに引っかかってきたミステリーの情報を交換し、放課後の作戦会議を練ったものであった。ただその場所に具体的に水木しげる的な怪奇があったわけじゃなく、ただ単に少年達の「おばけを信じる心」があっただけであった。そうだ。その心さえあれば、お化けは僕たちの目に見えたのである。




 しかし、僕らはいつから嫌な大人になってしまったのだろうか。「科学で割り切れないものはない」などと吐き捨てるつまらない大人になったのであろうか。いつ、どこであの少年の日の思い出を打ち捨ててしまったのであろうか。仕事もいいが、たまには頭ごとふやけてみようじゃないか。空想頭を過去に飛ばすのだ。夢というドアキーは少年という懐かしき扉を開けるのだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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画像©写真素材足成

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