吉備津彦に討たれた鬼の首、鳴動する呪い、吉備津の釜

 雨月物語で一躍有名になったのが、吉備津神社の鳴釜神事である。これは釜の鳴り方によって吉凶を占うものであり、今でも多くの人々から信仰されている神事である。 この岡山県にある吉備津神社はパワースポットとして人気だが、その背景には悲劇的な鬼神の伝承が残されているのだ。

 朝廷に従わない吉備の豪族・温羅を討つべく吉備国に入った吉備津彦命(五十狭芹彦命・第七代孝霊天皇の皇子)は、温羅一族と対峙する。この温羅の正体に関しては朝鮮半島から渡来した貴人という説があるのだが、地元住民を苦しめ、大和朝廷の支持に耳を貸さない態度に武力征伐という最終手段に至ったわけだ。(なお、温羅の背後には、鉄の民の勢力があり、その技術を大和朝廷は配下におく討伐戦であったという見方もある)




 総社市の新山に位置する鬼ノ城(きのじょう)を拠点に、神出鬼没で岩を投げて抵抗する温羅一族に、吉備津彦命率いる朝廷軍は苦戦するが、温羅めがけて二本の矢を同時に放ったところ、一本はかわされたものの、一本は温羅の左目を貫いた。流血の中、総崩れになる温羅一族。この時、血に染まった川が血吸川である。

 それでも、温羅は「雉」に化けて逃走、吉備津彦命は「鷹」となって追跡、更に温羅は「鯉」に化けて、血吸川に飛び込むが、吉備津彦命は「鵜」となって追跡、「鯉喰神社」の場所で捕獲に成功した。

 その後、吉備津彦命は吉備中山の麓に茅葺宮を作り、長く吉備国の統治にあたり、吉備中山の頂にある茶臼山にて墓が作られたという。この討伐戦に参加した吉備津彦命の息子・吉備武彦は、ヤマトタケルの東征に副将軍となって同行したと言われている。

 実は桃太郎のモデルとなった人物が吉備津彦命であり、部下の犬飼建がお供の犬のモデルとなったのだ。だが、桃太郎の原話はかなりグロテスクだ。吉備津彦命は温羅の首をはねたのだが、首は唸り続けている。あまりに煩いので部下の犬飼建に命じて、犬をけしかけ首の肉の部分を食わせて髑髏にしてしまったが、まだ鳴り止まない。

 鳴り止まぬこと13年に及び、結果吉備津彦命の夢枕に温羅が立ち、自分の首を吉備津神社のかまどの下に埋めてくれれば、幸あれば厳かに鳴り、禍あれば荒らかに鳴ろうと確約し、ようやく温羅の呪いは決着した。これが吉備津神社の鳴釜神事の起源となったと言われている。




 筆者は早朝にこの神社を訪問したのだが、なんとも言えない厳粛な空気が漂っていた。

「吉備津神社」と「吉備津彦神社」の二箇所があるが、吉備神社が両備(備中・備前)の守護神として認識された結果、ひとつの神社が二つに分化したというのが原因のようだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©吉備津神社HPより

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