UFO・UMA

UMAエッセイ・リアルなUMAと幼稚な妖怪

筆者は妖怪が研究のメインテーマであるが、都市伝説、心霊、UMA、UFO、日本史、古代文明、異次元など幅広く分析している。それは、妖怪という言葉がかつて”オカルト”という言葉と同義語であった明治時代の井上円了博士のスタイルに合わせているからだ。当時は、妖怪といえば不思議なものの総称であったのだ。その為、特にどの分野が偉いとか、その分野が低俗だとかいう認識はない。だが10年前に作家デビューして思ったのは「妖怪はレベルが低い、何故なら存在するはずのない妖怪という幼稚なものを扱っているからだ」という暗黙の差別が存在したことである。



このような態度がオカルトの懐疑派から出たのならともかく同じオカルト業界から出たのが衝撃であった。言い換えれば「UFOやUMA、超能力は科学的で立派、心霊もあるかもしれない。だが妖怪は幼稚、お子様ランチ」という感覚であった。私の20年は、妖怪という言葉を再びオカルトの総称に使用し、この言われ無き蔑視との闘いであった。結果どうだろうか、無論筆者の力など微々たるものであったが、京極夏彦氏を初めとする敬愛すべき妖怪好きの諸先輩の尽力もあって、”妖怪”は知的オカルトの一分野として地位が確立された。逆にUFOや超能力の分野は全盛期に比べ衰退してしまった。(並木伸一郎氏、飛鳥昭雄氏、両御大がどうにか踏ん張ってくれているが、若手に気概がなく全体に人材やネタが細くなった感は否めない)人間万事塞翁が馬とはこの事だが、オカルト界全体として俯瞰してみると不安である。

 各業界でも異業種交流や、複数の企業や第三セクター、共同体によるプロジェクトが進行中である。今後はオカルトの各分野に分散した人材をかき集め、新たなオカルトシーンを創出すべきではないだろうか。例えばUMAである。これは筆者の持論でしかないのだが、UMAは間違いなく現代風にモデルチェンジした妖怪の子孫である。例えば池田湖の「イッシー」は、竜そのものであり、現実に湖の至近距離には竜神伝説がある。また「ヒバゴン」は、妖怪「サトリの怪=人間の心を読む毛だらけの獣人」であり、伝承では比婆山には「藍婆」という毛だらけの獣人妖怪がいたと伝えられている。更に「つちのこ」や「河童」に至っては、妖怪のままリアル感を維持し続け、スライド式にUMAの仲間入りをしている。巨大な海蛇「シーサーペンス」と思われるのは、妖怪「いくち」「あやかし」であり、翼をもって空を滑空する「バッツカッチ」「フライング・ヒューマノイド」などは明らかに「天狗」「鳥人」伝説そのものではないだろうか。またここ数年UMA界の人気を集める「チュパカブラ」も、かつて四国で牛馬の内臓や血を吸った吸血妖怪「牛うち坊」であり、相手の肉の成分だけを吸い取る「肉すい」である。このようにUMAは、現実感を持たすため、現代風にアレンジされた妖怪の末裔である可能性が強い。




 またUMAはUFOとの関連も指摘されている。例えば「伊香保温泉獣人」の足跡の撮影ポイントはUFOの多発地帯であるし、チュパカブラやビックフットがエイリアンのDNA操作で生まれたとする解釈も有力になってきている。また全勢関係がないと思われるルートの情報で「イエティはUFOがつれてきた」という証言に触れることができた。これなどは「ビックフットがUFOに光線で回収された」というのと同じ内容である。

 だとすれば、UMAの今後の研究は、妖怪、UMA、UFOの三分野のエキスパートによる総合研究が主体となるであろうし各分野に閉じこもっていた研究家や愛好家が境界を越えて結集していくべきである。もはや、真正面からだけではUMAの顔は見えない、横顔、後姿、全ての角度からのアプローチが連携だってなされた時、UMAは初めて謎の扉を開くのである。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)