UFO・UMA

UMAと昭和ノスタルジア(後編)

【前編から続く】

また、TVの特撮全盛期において、ウルトラ怪獣や仮面ライダー怪人で育った現代の大人にとって、未確認生物とは子供時代に慣れ親しんだ昭和の怪獣そのものかもしれない。
ネッシーやマツドドン、南極ゴジラなどはいつでもウルトラQやウルトラマンの相手になるであろうし、米国のUMAに多い「羊の頭部を持つ怪人・羊男」「犬の頭部を持つ怪人・ドッグマン」「狼のようなするどい牙のある頭部と人語らしき言葉をしゃべる怪人・シャギー」「二本足で歩く巨大なかえるのような怪人・かえる男」「高速で空を飛び光る目をもつ怪人・モスマン」等々。こいつらは、どう考えてもショッカーの怪人である。
これだけいたら、ワンクールぐらいは仮面ライダー相手に闘えてしまうぐらいの布陣ではないか。
こうなると必要以上に萌えてしまうのが我々ライダー世代だ。ブロック塀から「ライダー変身!」と叫んで飛び降りて、足首を骨折したあの少年の日の記憶が蘇るのだ。となると初代・仮面ライダーを演じた藤岡弘。氏が、川口探検隊の後を継いだのがわかるような気がする。
まだまだ怪人とライダーの対決は終わってないのだ。とかく、30代以上の男子にとって、UMA・未確認生物が”萌える存在”である理由がお分かりであろうか。




一方で未確認動物は、なんとも儚い存在である。まるで大企業で使い捨てられていく中年企業戦士のように切ない。
未確認であるうちはロマンを有するが、捕獲されてしまうとその輝きを失い、只の動物図鑑に載っている既知動物へ零落してしまう。つまり、”未確認生物”という”とっぽい名前”を維持するためには、奴らは常に逃げ続けなければならない。
永遠の逃亡こそが、彼らの名誉を守るのだ。なんと悲しき逃亡者よ、まさに伝説の彷徨えるオランダ人である。このあたりもUMAが(ぐっ)とくる部分だ。動物園などには媚を売らず、人間に背を向けて漂い続けるその気概、言わばオカルト界の木枯し紋次郎である。

また考えて見ると、UMA界のネーミングにも、昭和のノスタルジアが含まれている。
特に「ネッシー」というネーミングには、言い知れぬ脱力感を感じる。日本語のあだ名のつけ方には一定のルールがあって、末尾に「シー」をつける方法がある。ここでいくつか例をあげてみよう。高校野球で名をあげヤクルトに入団した酒井投手のあだ名は「サッシー」であった。また、自分たちの周りを見渡してみても、橋本くんは「ハッシー」だし、吉本くんは「ヨッシー」である。このように 本名の末尾に「シー」をつけることであだ名化する習慣が日本にあったのである。そして、「ネス湖の怪物」が話題になり始めた時、ネス湖に住むという生活環境と、日本のあだ名の法則にしたがって「ネッシー」という名前が定着したのであった。しかし、ネス湖に棲むから「ネッシー」というネーミングはある意味で凄い。ひねりも何もない。だがそのまんまの名前は定着した。

しかも、その名は他のUMAにも影響を与えた。ネス湖で小さな水棲UMAの死骸が発見されると「ベビーネッシー」、中国と北朝鮮の国境の湖に出ると、「チャイニーズ・ネッシー」、海で水棲恐竜らしき遺体が引き揚げられると忽ち「ニューネッシー」となってしまい、アイルランドの水棲UMAの写真がとられると「アイルランド・ネッシー」と名付けられてしまう。
「ネッシー」はUMA界の国際スターである。しかし、往年国際スター・ネッシーも今や、「水浴び中の象の鼻」「潜水艦に首をつけたおもちゃ」という解釈で、インチキ扱いされており、往時の集客力はない。




我が国でも、昭和UMAブームが続く中、日本在住UMAたちも老齢のためか元気がない。
「いとしのヒナゴン」という映画や「ヒバゴン丼」などグッズの開発で昨年熱狂的なラブコールを受けながらも、ヒバゴンはついぞ姿を現す事はなかった。もはや、時間はない。昭和のヒーロー・ヒバゴンはこのまま引退してしまうのか、直ちに高齢のヒバゴンを至急保護し、特別介護を受けさせるべきであろう。またつちのこもさえが無い。高額の賞金首の為、毎年のように「これってつちのこ違うか」という候補が見つかるが、いつも違う種類の蛇と判定されている。江戸時代から妖怪扱いされ、昭和以降はUMAにも数えられているベテランのいぶし銀・UMAだが、これも壊滅状態なのかもしれない。

今や人間の心の飢えはUMA(自然、近所の怪獣、孤独な紋次郎)でしかみたされない。昭和ブームの息吹で再び蘇り、世の男性たちの喝采を浴びて欲しいのだ。UMAよ、昭和レトロ人気にのり、今こそ大復活するのだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

※画像©写真素材足成