【実話怪談】水神の使い

 話は終戦直後まで遡る。当時、焼け跡から立ち直りつつあった日本の国土には、復興の槌音が響いていた。突如、勃発した朝鮮戦争による特需景気が日本経済を活性化したのである。

 この景気にうまく乗り、一財産儲けた豪商にY家という一族がいた。平たく言うと、“死の商人”である。
 一時期、戦地から帰国した不良軍人を組織し、会社らしきものをつくり、日本と朝鮮半島をつなぐネットワークを駆使したビジネスで大きな成功を手にしていたのだ。
 現在のお金で数百万をポケットマネーとして持ち歩き、豪遊する姿はしばしば伝説のように語り継がれた。

 だが、人生はそううまくはいかない。
 同じ頃、神奈川県某所に自宅をかまえるY家において、深刻な事件が起きていた。Y氏にとって、命より大切な一人娘が、原因不明の病気に陥っていたのだ。
 『なんとか、娘の命を助けたい』心痛な面もちで、彼は各地の医者に相談した。金にものを言わせ、各地の名医を招聘し、娘の治療にあたらせたのだが、いずれも失敗に終わったという。

 「病気の原因がわかりません、どこも悪いところはないのです」
 高熱でうなされる娘を見下ろしながら、名医たちは匙を投げた。
 関係者の中には、娘の病気を、あざ笑う者もいた。
 「Y氏が儲けすぎた為の、しっぺ返しじゃないの!ざまあみろ」
 周囲の冷たい視線に耐えながらも、Y氏は苦悩を続けた。
 『かと言って、このまま娘を死なすわけにはいかない』そして、等々ある神社にお参りすることにした。 




 聞くところによると、ここに奉られている水神さまは、現世利益で相当御利益があるという。
 『こうなったら、神だのみだ、それしかない』厳しいビジネスの世界で成功したY氏は本来、神仏などは信じない人であった。だが、かわしい娘の為なら、信条さえ捨ててしまうのだ。

 それ以来、忙しい仕事の合間をぬって、毎日のようにその神社にお参りに出かけた。
 「頼みます、あの娘の命を救ってください、あの若さで病気で死ぬなんてかわいそうです」
 泣きながら、祈るY氏の姿には鬼気迫るものが感じられた。

 お参りをはじめてから、ちょうど100日目。いつものように祈り終えたY氏が帰ろうとすると背後から声が聞こえた。
 「おいおい、Yよ、汝の祈り、しかと聞き届けたぞ」
 「…!!ええっ」
 仰天し、振り返ったY氏の目に奇妙な人物が写った。小柄な華奢な体で赤い女ものの着物を着ており、顔にはひょっとこのような面を被っている。
 明らかに怪しい人物である。声や体つきから判断して女のようだが、若い女の声のようにも思えるし、老女の声とも解釈できる。
 Y氏はなんともいえない恐怖感にうち震えた。

 「そう驚かなくてもよい、わしは水神さまの使いじゃ」
 「…すっ水神さまのお使い?」
 生唾を飲み込み、絶句するY氏を尻目に仮面の女は続けた。
 「汝の願いは1ケ月の間に聞き届けるであろう、じゃがな、一つ我らの願いも聞いて欲しい」

 「水神さまの願い?! …私でできる事なら、なんなりとおしゃってください」
 ようやく落ち着いてきたY氏は、女に軽く会釈した。
 「わしらの仲間、つまり、水神さまの眷属(けんぞく)が、この裏手にすむ漁師につかまってしまった。背に傷のある大きな鯉じゃ、その鯉を買い受けて川に流してもらいたいのじゃ」
 「おっ、お安い御用ですよ」

 Y氏がにっこり笑うと、その仮面の女はゆっくり歩き出した。何故か、足音もしないまま、木々の間を進んでいく。
 「Yよ、ついてこい、漁師の家に案内する」
 女はすべるように歩き続け、Y氏は必死に後を追った。女はまるで激流を泳ぐ川魚のようにしなやかに動いていく。そして、5分程で一軒の掘っ建て小屋にたどり着いた。

 仮面の女にうながされ、中に入ったところ、年老いた老婆と若い男が座っていた。室内にはすえたような臭いが広がっている。
 「おまえは、なんじゃ、突然人の家に入ってきて」
 若い男が激高した。背後で老女はにやにや笑っている。
 「すっ、すいません。実はある魚を売って頂きたいと思いまして…」
 「魚だって…。ふん、もう全部売ってしまって一匹もないわ」
 若い男はぶっきらぼうに答え、手直ししていた網を放り投げた。浅黒く精悍な顔つきだが、どうにも偏屈な人物のようである。

 「そんなはずは…背中に傷のある鯉があるはず…」
 すがるようにY氏が言うと、囲炉裏端から不思議そうに老女が答えた。
 「おぬし、何故その事を知っておる、実は鯉ならいるにはいるのだが…」
 若い男も吃驚したようにY氏をみつめている。

 「お願いです、いくらでも出しますので売ってください」
 Y氏は土下座しながら頼んだ。
 すると若い男は一転、おとなしい口調でこう言った。
 「実はこの鯉は、町のお金持ちの宴会用にとっておいたものなんだ。だから、あんたにも事情があるだろうが、売るわけにはいかん」 

 『やっぱり、水神の使いの言ったとおりだ。この鯉をどうしても手に入れねば』Y氏は何度も何度も頭を下げた。
 「お願いします。病気の娘のために必要なんです」
 Y氏の勢いに若い男が押されていると、老女がいやらしく笑った。
 「よいよい、おぬしの事情もわかった。しかし、わしらも地元の旦那さんとの約束を違えたとなれば、この地を去らねばならないかも知れぬ。その補償までしてくれるのか」

 老女は歯のない口を開けると「からから」と笑った。
 追いつめられたY氏だったが、懐にある有り金を全て差し出した。
 「このお金を全て差し上げます、どうか鯉を売ってください」
 それでも若い男は迷っていたが、老女が無言であごをしゃくると、渋々裏手から一匹の鯉を持ってきた。

 「これだよ、もってきな」
 Y氏は小躍りしてその鯉を持って小屋を飛び出した。
 ふと気が付いて見渡すが仮面の女の姿がない。
 「消えてしまった。だが、まずは、鯉を川に逃がしてやろう」
 Y氏は川縁にいくと、鯉を放流した。嬉しそうに鯉は水中に消えていった。
 『よかった、これで娘の命は助かる…。しかし、不思議な事もあるもんだ』全身についた土埃をはらいながら、土手を上ったY氏は帰路についた。




 それから、1ケ月が経った。だが、娘の病状は好転しない。相変わらず一進一退の状況が続いている。
 『おかしい、水神さまはうちの娘を見捨てるのか』Y氏は悩み続けたが、娘は高熱にうなされるばかりである。
 『あれ以来、お参りをやめてしまったのがまずかったのか…』そう思った彼は、水神の祠に急行した。

 「水神さま、どうか娘を助けてください。約束してくださったじゃないですか」
 必死に拝みながら、ふと祠(ほこら)の脇に捨てられているお面が目についた。
 『あっ、あの女の面だ』面は風雨にさらされ、完全に壊れていた。
 『どういう事だ、いったい』

 Y氏は当時の記憶をたどり漁師の小屋にたどりついた。小屋に入ると若い夫婦がいた。この前の若い男と老女とは明らかに別人である。
 「あの、ここにおばあさんと、色の黒い若い男が…」
 「ああっ、以前芝居の練習ということで、その二人組に小屋をかした事があるよ」

 Y氏は呆然とした。両足が棒のように固まって動かない。
 『やられた、毎日神社にかよって願掛けしてうちに、私の願いを聞かれたんだ。それにつけ込んで、騙されたんだ。仮面の女も、老女も、若い男もみんなグルだ、私はただの鯉を大金で買わされたのだ』

 Y氏は地団駄を踏んだが、後の祭りであった。それから、数週間後、娘は絶命した。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

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