今もなお謎に満ちた大量毒殺事件「帝銀事件」

今から69年前の1948(昭和23)年1月26日、日本の犯罪史でも謎の多い大量殺人事件が起きた。

同日午後3時頃、東京都豊島区長崎帝国銀行椎名町支店に東京都の消毒班の腕章をつけた中年の男が訪れた。彼は銀行で勤務していた16人に赤痢の予防薬であると言って薬品を渡した。だが、それは猛毒の青酸化合物だった。行員たちはその場に昏倒、男は銀行から現金約16万円と小切手一枚を奪って逃げた。死亡者は12人、終戦まもない混乱期だが、この類をみない大量殺人は大きく取り上げられ日本を震えあがらせた。




捜査の結果、同年8月21日に北海道小樽でテンペラ画家として知られた平沢貞通(当時56歳)が逮捕される。しかし一審の第一回公判で自白をひるがえし、帝銀事件について無実を訴えたが、昭和30年4月に最高裁で死刑が確定した。しかしその後も無実を訴え続け、昭和62年5月10日に八王子医療刑務所にて95歳で亡くなった。

彼が無罪を主張していたこと、また判決の事実認定に問題があったため死刑の判決が出ていたが執行されなかったとされている。元東京高等検察庁検事長で帝京大学教授の藤永幸治による(読売新聞1996年12月8日朝刊、朝日新聞1996年12月9日朝刊による)。

しかしそれを把握していながら長期にわたり拘禁されていたのは事実であるため、この事件の捜査や裁判、法務省の態度に疑問を持ち、彼は無罪であり逮捕は冤罪だったと考える人もいた。昭和37年7月には作家森川哲郎の首唱で「平沢貞通氏を救う会」が発足しており、再審請求や恩赦出願も行われた。




冤罪とするならば、真犯人は誰だったのか。真犯人については諸説あり、元関東軍731部隊の化学兵器開発の担当者とする説が有力だ。実際に証拠となる捜査資料は存在しており、さらに当時警察が捜査を断念した理由に、731部隊関係者の戦争責任の追求を免除する代わりに化学兵器などの研究資料を押収した事実が暴露される事を恐れたGHQが警察に圧力をかけたとする説も出てきている。

果たして、事件の真実が明らかになる日は来るのだろうか。

(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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