事件

「股裂きの刑」の呪いを封じる牛窪地蔵、歯科医バラバラ殺人事件

 牛や馬を使い罪人の体を引き裂く処刑方法がある。イングランドでは、国家や国王に対する反逆者に適応された「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」という最も重い死刑方法があった。

1790年に廃止されたのだが、その手順は余りにも残酷で無慈悲である。罪人は木枠に乗せられ処刑場に連行され、縄で絞首刑にされるのだが、絶命する前に縄が切られ蘇生させられる。

 ここからが更に酷いのだが、罪人の性器を切断し内臓を引き摺り出し、最後に心臓を抉り出し、死にかけている本人に見せつける。性器や内臓は、そのまま火の放り込まれ、罪人が絶望したところで首を刎ね落とす。
 とどめは遺体を両腕両脚に四つ裂きにして、町中の数カ所に晒された。これは国家や国王に対する反逆行為を戒める意味があったのだと思われる。

 このように肢体をバラバラにする処刑方法は我が国にもある。首、両腕、両足の5箇所にそれぞれ一本づつの縄をつけ牛馬で引きさくのが「五つ裂の刑」であり、両足首に、それぞれ縄をつけ左右に引きさくのが「股裂きの刑」である。




 日本の場合は、武士の乗り物であった馬は汚れを嫌ってか避けられ、処刑には主に牛が使用された。

 過去、首都圏では幡ケ谷で、牛を使った「股裂きの刑」が施行されており、窪地で牛による処刑が行われたということで牛窪という地名の由来にもなった。(このあたりの経過は、現地に地元有志によって建立された説明版による)

 だが、宝永よりこの地域で疫病が流行、「股裂きの刑」で犠牲になった罪人の祟りではないかと噂され、今から300年前(正徳元年拾月、1711年)、罪人たちの霊を慰めるために、牛窪地蔵尊が建立された。その後、子供の安泰、雨乞いにご利益のある地蔵して信仰を集めた。

 しかし、罪人たちの呪いや因縁は解消されてなかったのであろうか。2006年12月30日午後、牛窪地蔵の付近である幡ヶ谷でバラバラ殺人事件が起こった。地元でも人気のあった歯科医師の両親が自分の田舎へ大学生の長男と一緒に帰省中、幡谷の家に残っていた予備校生の次男がすぐ下の妹を殺害し、風呂場でバラバラに解体してしまったのだ。浪人を続けていた次男は妹から「夢がない」となじられて逆上、犯行に及んだという。

 「股裂きの刑」が施行された場所の近くで発生したバラバラ殺人事件、これも何かの因縁であろうか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)