事件

帝政ロシアを終焉に導いた怪僧「ラスプーチン」

本アトラスでは韓国での大統領にまつわるスキャンダルについて紹介した際に、父親である朴正煕大統領もまた渦中の人物である崔容疑者の父親、崔太敏氏と関係が深く、崔太敏氏は海外のメディアなどに「韓国のラスプーチン」と呼ばれた事もあったと紹介した。

その元祖、ラスプーチンは帝政ロシア末期に暗躍した祈祷僧である。




彼は一介の農夫であったが、ある日「神の啓示を受けた」として出奔、約20年後にサンクトペテルブルグに再び姿を現す。この時、多くの人の病気を治すなどの奇跡を見せ、「神の子」と呼ばれるようになる。

やがて彼の評判はロシア皇帝の元まで届き、血友病だったアレクセイ皇太子を祈祷で治療した。そして皇帝夫妻からの信頼を得た彼は次第に政治にも口を出すようになっていった。しかし、第一次世界大戦が起き国内情勢が怪しくなってくるにつれ、宮廷内だけではなく国民からも彼に対する不信感が増大し、彼は暗殺されることになる。なお、実際にはラスプーチン本人が政権に直接手を出した形跡はないとされている。

彼は初め青酸カリ入りの料理を振る舞われたが平気で平らげてしまったため、側にいた人々に拳銃で撃たれた。だが彼は2発の銃弾を受けてもなお生きていたため、冬のネヴァ川に沈められた。死因は溺死、つまり川に落とされてもなお彼は生きていたのである。




なお、彼は亡くなる前にニコライ二世に謁見し、次のような予言を残している。

「私は殺されますが、私を殺すものが農民であればロシアは安泰でしょう。しかし、私を殺すものの中に陛下のご一族が居られれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げ、ロシアは長きに渡って多くの血が流れることとなるでしょう」

事実、その後ロマノフ王朝は革命によって崩壊。ロシアは長きに渡る内戦とボリシェヴィキによる専制政治、レーニンやスターリンら指導者の独裁政権による同胞の粛清など、血塗られた悲惨な歴史を歩むこととなるのである。

なお、サンクトペテルブルクの博物館には暗殺されたラスプーチンの死体から切除した巨大な男性器がアルコール付けとなって今も保管されている。

(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

※写真はウィキペディアより