母校の小学校に残る「落ち武者幽霊」の奇妙な由来





 筆者は徳島県徳島市の出身である。

 少年時代は四国特有の不思議なムードに包まれた徳島で不思議な体験を数多くしてきた。拙著「呪い面」(TO文庫)に詳しく書いたのだが、筆者は少年時代、八万小学校という歴史のある学校に通っていたのだが、死体を発見したことがある。

 小学校低学年の頃、同級生の女の子二名と共に通学途中に小学校の裏門近くにあったドブ川に浮かぶ遺体を発見、警察が急行し新聞に掲載される大騒動になった。

 しかも遺体は頭部と体のみで手足は切断されていたのだ。今風に言うならば、ダルマ女の死体を見つけてしまったのだ。この衝撃的な騒動は、少年時代の自分にとってトラウマとなった事件である。

 実は当時の八万小学校には、数々の怪 談が残されていた。二宮金次郎の像が真夜中に動くとか、○○校舎にあるトイレの奥から何番目のトイレには幽霊が出るとか、それはどの学校にもあるごく普通の伝説であった。




 だが、唯一独自性の強い伝説が”落ち武者幽霊”である。

 これは、筆者が死体を発見したドブ川がある裏門から校庭を経て、毎夜毎夜、落ち武者の幽霊がやってくるというストーリーであった。

 何故、八万小学校に落ち武者が出るのか、裏門からやってくる落ち武者は何を求めているのか不明であった。元々、武士が亡くなった古戦場ならこういう落ち武者幽霊の伝説が生まれるのは理解できる。だが、八万小学校は江戸時代には、豪商の自宅敷地だったというのだ。

 この落ち武者幽霊に関して、筆者は都内 の図書館で古い資料を目にすることが出来、ようやく謎が氷解したので本書に記録しておこう。

 かつて江戸時代、八万小学校の場所には、木材を扱う豪商が家を構えていたのだが、四国でも有数の木材商で四国山脈の奥地で大規模な伐採を行っていた。

 この伐採により生じる山津波や災害で困っていたのが土佐の山村であった。数ケ村の代表が集まり、阿波の豪商のもとにやってきて伐採をやめるように陳情した。だが、強欲な木材商はこの要求を完全拒否、落ち込んだ代表たちはすごすご土佐に帰ることになったのだが、ひとりの男は居残った。

 そして、先祖伝来の鎧に身を包むと阿波の金毘羅神社の境内に登り、そこから投身自殺をしてしまった。

 以来、毎夜毎夜金毘羅神社から落 ち武者の幽霊が歩き出し、豪商の屋敷まで徘徊するようになった。つまり、毎夜毎夜八万小学校に現れたという落ち武者の幽霊とは、元々八万小学校の敷地にあった木材を扱う豪商の家に出ていた幽霊なのだ。

 それにしても、”落ち武者の幽霊”と思っていたのだが、厳密に言うと”先祖の鎧を着た農民の代表の幽霊”であったのだ。




 よく”落ち武者の幽霊”や”血まみれの幽霊””子供を抱いた女幽霊”などを人々は幻視してしまうのだが、それはよく映画やテレビ番組で脳に刷り込まれた”典型的な幽霊像”を脳内で再生してきただけだと言われる。

 だが、こんな伝説が前提条件にあると後輩の生徒たちに伝わってないにも関わらず、昭和の頃まで”落ち武者幽霊”というモチーフ が残っていたのは、やはり何らかの霊現象があったのではないだろうかと推測したくなる。

 途中で、商人の幽霊や丁稚や女中の幽霊に情報が転換したほうがフォークロアとしてリアリティがあったはずである。

 これはいったい何を意味しているのか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)





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